特急「伊那路」の旅 (part1)



 この旅は、文章ばかりです。画像はほとんどありませんので、読んでくれる方、申し訳ありませんが、そこの所は、ご勘弁を…
 

 あと、1枚18切符が残っていた。また、使おうと決めた。今度は、どこを乗りつぶそうかと思った挙句、飯田線の制覇を計画した。ここには、最近になって、特急が走るようになった。373系の特急型車両。まだ乗ったことがないので、初試乗をかねようとした。これは、乗るしかないと思い、飯田線乗りつぶしの旅に出かけた。時は、1月。長野県は積雪が多いと言っていた。大丈夫だろうか、と心配しながらもすでに、駅に向かっていたのだった。
 行程は、名古屋〜中津川〜塩尻〜辰野〜飯田〜豊橋〜名古屋である。


日帰り旅

1.中央線旧線制覇

 名古屋の天気は、曇っていた。長野は、雪と言っていたがどうであろうか?そんなことは、あまり気にせずに、8時48分発の中津川行きの快速に乗車する。あまり混雑はしていなかった。しかし、211系のロングシートであった。幸先は良くなかったぁ…。土岐、瑞浪の辺りに来ると、とうとう積雪があった。この辺りから、雪が増えるのであろう。列車は遅れることなく、10時02分中津川に到着した。隣のホームには、すでに松本行きの普通が待っていた。

乗りこむと、急行型ボックスシートかと見ると、なんと簡易リクライニングになっていた。これは、ラッキーだった。中津川を出ると、すぐにトンネルに入る。さすがに、211系のスピードまでは出ない。

坂下を過ぎ、南木曽の辺りまで来ると、かなりの積雪だった。これは、だいぶ積もっていたに違いない。この先だんだんと雪の量は多くなるのだが、列車が遅れる事はなかった。さすが、簡易リクライニングシートは、快適だ。

木曽福島の辺りに来ると、雪は少なくなっていった。12時03分、塩尻駅に到着した。

ここで、中央東線の旧線に乗車する。いつのまにか、晴れ間が出てきた。辰野行きの普通列車は、1両編成であった。乗車率は、半分くらいであった。12時19分発車した。しかし、意外なのは、かなりの山道を走ると言う事だった。スイッチバックもあったし、かなり勾配のキツイ路線と言うことが分かる。次の駅の小野まで10分以上もかかる長い距離を走っていた。

辰野には、12時39分に到着した。ここは、新線が出きるまでは、特急も止まる駅だったのだが、新線ができてから廃れたと言う感じだ。



2.飯田線の旅

 次は、天竜峡行きの普通。だが、案内によると、10分くらい遅れていると言う連絡があった。やはり雪の影響であろうか?そうなると、飯田線のこの先の積雪が心配になってきた。10分遅れて到着した天竜峡行きの普通は、半分くらいの乗車率であった。119系の車両で、ボックスシートであった。

すぐに発車したが、スピードも出さずにすぐに、宮木駅に着いた。一駅の間隔が短いのが、飯田線の特徴である。1〜2分くらい走っては、すぐに到着する。だから、スピードもなかなかでないのである。遅れていたため、駒ヶ根駅での停車時間は、カットとなり、すぐに発車した。

駒ヶ根駅も要所の駅なのか、大きかった。このあたりは、天気も快晴で、駒ケ岳も雪をかぶった姿がきれいに見えていた。どうやら、飯田線は、雪の影響はないみたいだった。思った事は、山ばかりの路線かと思っていたが、実際は、田んぼや畑の中を走っていると言う感じがした。

現に、山には囲まれているが、せまってくる所は、なかった。伊那大島、元善光寺と大きな駅があるところに、停まりながら、14時41分定刻に、飯田駅に到着した。いつのまにか、遅れを取り戻していたようだ。単線で10分も遅れを回復したのは、すごかった。

まだ、特急「伊那路」までの時間があったために、飯田駅周辺を散策した。今までがローカルだったせいか、都会に見えた。目の前には、ジャスコがあり、一度寄ってみることにした。だが、名古屋のジャスコと比べると、すごく小さかった。しかも、客がほとんどいなかった。先行きが心配であった。

結局やる事もなく、飯田駅に戻ってきたが、まだ特急「伊那路」の改札はしていなかった。すでに、電車は入線していて、すぐにでも乗れそうなのに…。しばらく待っていると、やっと改札が始まった。一番に並び、すぐに伊那路に乗り込んだ。とりあえず、前から2番目の席を確保した。自由席なので、勝負かと思っていたが、乗客は少なかった。余裕で前の席を転換して足を投げ出す事が出来た。


3.特急「伊那路」の旅

 この豊橋行きの特急「伊那路」は、3両編成で、特急型というよりは、近郊型に近い、特急車両であった。1両に二つの扉があり、しかも、デッキはないに等しいくらいのつくりであった。15時47分定刻に発車した。

しかし、カーブなどが多く、スピードは遅かった。天竜川が見えてくると、まもなくして、天竜峡駅に到着した。ここから、天竜下りができる駅であるが、もちろん、特急でそのまま豊橋まで下ることにする。ここから車窓の風景が一変するようになった。今までは、平坦な道のりだったが、今度は、山岳路線へと変わっていった。天竜峡駅が境目みたいな感じだった。そのためにスピードは、全くでなかった。しかも駅間も少しずつ長くなってきた。だが、なぜこんな所に駅が?というのが、たくさんあった。これは、元私鉄のため利用者の便利上の理由だろう。今では、家が辺りにないところにも駅がある。

平岡、水窪は、山の中にある駅という感じであった。しかし、乗ってくる人もいた。カーブではスピードが遅いが、トンネルの直線区間になると、スピードを上げていた。が、すぐに減速してしまい、やはり鈍足の特急である事が分かってしまう。いっそのこと、振り子車両を投入してもよさそうだが、資金の無駄であろう。利用者で分かってしまう。中部天竜に、17時03分に到着。

ここで、半分くらいである。しかし、この快適な乗り心地に誘われて、酒を飲んでしまい、少しウトウトとしてしまった。愛知県に入って、東栄につくと、すでに夜になっていた。湯谷温泉、本長篠、新城と停車していく。このくらいから、スピードも上がり出した。どうやら、山岳路線を終え、平野の中に入ったのであろう。スピードも100を超えていた。

新城では、普通列車が止まっていた。かなりの混雑である。自称ラッシュだろう。豊川に停車して、小坂井の辺りに来ると、名鉄本線といっしょになった。スピードも120は出しているのであろう。

豊橋には、18時11分に到着した。距離は短いのだが、スピードが遅い分、より楽しめたと言う感じであった。すぐに、名古屋方面に向かう、新快速に乗りこんだ。転換クロスシートの311系で、快適に過ごせたが、酒で酔いがまわったせいか、頭が痛かった。そして、19時01分に金山に到着して、名鉄に乗り換えた。


 今回は、行きの景色が見える旅だった。飯田線の普通が遅れた時は、少し驚いたが、特急までの時間が一時間近くあったために、動揺はしなかった。飯田線は、かなり楽しめた。やはり、特急の快適なシートだったから、楽しめたというのもその一つの理由である。やはり、学割で乗車券が買えるのは、大きいと思った。次なる路線選びに、すでに頭がいっぱいであった。





[おわり]

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